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2008年4月24日 (木)

我、この愛に殉ずる・・・「残菊物語」

■先日観たお芝居のお外題は「残菊物語」。映画や新劇でよく演じられる名作の一つですが、この作品を舞台のお芝居で観たのは、これが初めて。歌舞伎の世界に身を置く菊之助と、その芸を心底愛したお徳の純愛。涙なくしてみられない至純の愛の舞台。「我、この愛に殉ずる」・・・この感動をお伝えしたく、ブログのキーボードに自分の思いを込めました。

ご承知かと思いますが、この狂言は、歌舞伎の名優「尾上菊之助」の悲恋をほぼ実話にもとづき、それを描いた村松梢風の原作。映画と新劇の世界では、過去たびたび制作そして上演された作品です。


■悲恋のストーリー・・・その壱

恋する2人は、明治の歌舞伎界に名門に身を置く「尾上菊之助」と尾上家に勤める乳母「お徳」の物語。菊之助というと実は、五代目菊五郎の養子の身の上。慣れ親しむうちに自然の成り行きで二人の間には、愛が生まれる。梨園の世界で、しかも許されない関係は、そのうちに世間の噂となる。世間にあからさまになる前にと、菊五郎は、お徳に説いて聞かせた。「役者は世間様あっての浮草稼業。菊之助は、人気の出始めた大切な時期。その菊の助の結婚の相手が、弟の乳母だった出戻り女だと世間が知ったら・・・」と説いてふせた。それでも、若い菊之助の恋は一途で、一度は身を引いたお徳を連れて東京を後にする。

尾上菊之助は養子ながら歌舞伎の名門、五代目菊五郎の後継者として苦労なく育ったが、それだけに自分の芸以上の人気にひとり酔いしれていた。この思い上った菊之助の芸を真実こもった言葉でたしなめたのは寺島家(菊五郎の本姓)に雇われていた弟幸三の若い乳母「お徳」だった。

■悲恋のストーリー・・・その弐

結果として、菊之助は勘当され宗家の寺島家から姿を消した。そして、関西歌舞伎の大御所、「尾上多見蔵」を頼り旅立った。名を「松幸」と改めた菊之助は芸道に励んだ。しかし客の見る目は厳しく、当然のことながら、当時の菊之助の実力の評価は極めて低かった。場末の二階一間を借りながら二人は晴れて夫婦となった。が、しかしその矢先、頼る「多見蔵」に死なれ地方廻りの旅役者に身を窶さねばならなかった。長旅の間に「お徳」は労咳となり、菊の助にとって苦難の日が続いた。彼の将来を案じた「お徳」は菊之助の親友「福助」に歌舞伎界の復帰を懇願。その甲斐あってか、しばらくの後、菊之助は再び表舞台に立てたわけだが、その陰には「お徳」が身を退くという残酷な犠牲も払われてた。その後再び、菊五郎の一座に加わった。そして時が経ち、菊之助は大阪「角座」立つことが出来た。一方、その興業の初日「お徳」は重い病の床に臥していた。

■悲恋のストーリー・・・その参

お徳の病を知った菊の助は、晴れの舞台のさなか、舞台衣装のまま。末期が迫る迫る「お徳」の枕許に駈けつけた。大切な初日の舞台のこととて、菊之助は、再び角座へ帰り、菊五郎と親子獅子を華やかに踊った。その時お徳は臨終を迎えたのであった・・・。

■観劇の後は・・・

このストーリーは、あまりの悲恋物語のため、暫くは自分の想いをブロクに書く気持ちにはなれませんでした。今こうしてブログをしたためているこの時でさえ、何か胸に詰まるもので一杯です。混沌とした今の世では信じられない位の「純愛物語」。古き良き時代の日本人の奥ゆかしさを感じるとても上質なお芝居でした。

■エピローグ

我、この愛に殉ずる・・・「残菊物語」という奥ゆかしいタイトルに改めて感動。機会があれば、「長谷川一夫さん」と「淡島千景さん」版の映画をぜひ見てみたいと思います。端正な顔立ちのお二人の瑞々しい姿と若き日の「中村玉緒」さんのお姿も見られるお宝ビデオだと思います。

拙文を最後までご覧いただき、誠に有り難うございました。

写真は「新川劇団」が演じる「残菊物語」の3カット。「博也と笑也」の熱演をとくとご覧下さい。

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