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2008年10月

2008年10月25日 (土)

映画「ヤング@ハート」に感動そして感涙・・・。

先日の「しあわせのかおり」に続いて「ヤング@ハート」と題する映画の試写会に行く機会がありました。

そういえばこの2年ほどは、お芝居の観劇に夢中で、映画といえばレンタルビデオ。劇場での映画鑑賞からは、暫く遠ざかっていました。好きなときにいつでも自宅で映画をDVDで見られる便利な時代になったというもののやはり、劇場で見る映画は違う・・・。お芝居、ミュージックなどのライブとは違う異次元の感動がありました。

■ドルビーサウンドに感動!

先回の「しあわせのかおり」は、心の内面を淡々と描きながらお料理の映像を目で追っていくシリアスなドラマ。

そして今回の「ヤング@ハート」は、音楽がメイン。映画のスタートは、忘れていたあの大迫力の劇場版ドルビーサウンド。いきなりノリのいいロックのリズムと迫力ある歌声に圧倒されました。お芝居の役者さんの生セリフに慣れ親しんだ私にとっては、とてつもない「ド迫力」にまず感動!

■シネマシアターのシートに感激!

お芝居の観劇で、座る席といえば「座椅子」に座布団。はたまた花道脇の「桟敷席」、といっても大衆演劇の場合は、せいぜい200〜300円程度の追加料金でちょっぴり贅沢な気分になることができます。

ところがこの「109シネマズ名古屋」のシートときたらまるで深々とした応接セット(もうこの言葉自体が古いのかもしれませんが・・・)。未だかって座ったことがない新幹線のグリーン車、あるいは飛行機のファーストクラスの座席を彷彿させる豪華なシートにまたまた感激!

(閑話休題・・・映画文化の今昔)

昭和30年代の映画館といえば固い座席と紫煙の先に映写される「雨降り映像とモノラルな音声」を思い出す。たしか幕間に「え〜おせんにキャラメル」と売り子さんが客席の間を歩いたもの・・・。
現在のシネマシアターは小洒落れたロビーに何故かポップコーンの香り。あの当時の映画文化を思い起こすと隔世の感がいたします。

■コーラス隊のエピソードに感涙!

「やんちゃな年金生活者たち」と評される「ヤング@ハート」は世界中どこを探してもない平均年齢80才というコーラス隊。

アメリカ、マサチューセッツ州ノーサンプトンに在住、年齢75歳から93歳までのシニアの一団は、その歌声とパフォーマンスで絶賛を浴びてきた。そんな彼らの持ち歌は、ソニック・ユース、ザ・クラッシュ、ボブ・ディラン、トーキング・ヘッズ、そしてレディオヘッドなどのロックンロールを中心とした曲。

結成は1982年、当初から指揮者であり、コーラス隊を指導しているビル・シルマンは 「当初のコーラス隊のメンバーの中には、二つの世界大戦を経験した人もいた」と語る。88歳のオリジナルメンバー「アンナ・メイン」は、100歳になるまで歌い続けたとか。そして「ヤング@ハート」は、1983年の初回の公演では4回のショーを完売してしまうほど大成功を収めたという。

それがきっかけとして以後13年もコンサートが続くこととなる。その後、彼らにヨーロッパ・ツアーの計画が持ち上がり、「永遠の若さ」をテーマにしたコンサートツアーを行うことになる。ヤング@ハートは、当然のことながら各地で大反響を呼び、1997年から2004年にかけて、ヨーロッパ、オーストラリア、カナダで更に12回の公演を行った。

そのコンサートツアーの舞台を見たスティーブン・ウォーカー(監督)との出会いによってこの映画化が実現したという。

全編に流れる力強い歌声に感激・・・そして友の死を乗り越えても「永遠の若さ」で歌い続ける彼らの真摯な姿に、感動、感激を超え、感涙いたしました。

■エピローグ・・・ヤング@ハートは、人生の応援歌!

いやはや、平均年齢80才のコーラス隊のパワー溢れる面々に、映画の最初から最後まで圧倒されっぱなし。「ヤング@ハート」のメンバーに比べればまだまだ私も「人生の掛け出し者」。

「笑って、泣いて、一緒に歌えば、もっと”生きる”が好きになる」と云う彼らからのメッセージ・・・息詰まるような閉塞感のなかで生活する今の世の中において、この映画は見る人に感動と生きる勇気を与えてくれる作品と云えます。・・・謂わば人生の応援歌かも知れません。胸にみなぎる勇気と充実感で「109シネマズ名古屋」を後にしました。

拙文を最後までご覧いただき、誠に有り難うございました。


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2008年10月11日 (土)

「湯島の白梅」をめぐる再発見・・・。

7月に一度アップロードさせていただいた湯島及び湯島の白梅に関して、その後どうしても追補させていただきたい思いにかられましたので、ふたたびブログの筆をとらさせていただきました。

現地を再び訪れ、名歌の十二行の歌詞を改めてじっくり味わってみると再発見のいくつかがあり、そして自分なりの新たな解釈を加えてみました。

1 湯島通れば 想い出す
  お蔦主税の 心意気
  知るや白梅 玉垣に
  残る二人の 影法師

2 忘れられよか 筒井筒
  岸の柳の 縁結び
  堅い契りを 義理ゆえに
  水に流すも 江戸育ち

3 青い瓦斯燈 境内を
  出れば本郷 切り通し
  あかぬ別れの 中空に
  鐘は墨絵の 上野山

■「筒井筒」と伊勢物語との関連

「筒井筒」という言葉が気になり、三省堂の国語辞典で調べると「丸く掘った井戸の筒状の外枠」とありました。しかしこの一言は言外に奥深い意味があり、更に探索すると出典は伊勢物語の二十三段にある「互いに惹かれていた幼馴染みの男女が結ばれるまでの相聞歌」にいたることが新たな発見。

男より
筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに

女、返し、
くらべこし ふりわけ髪も 肩過ぎぬ 君ならずして たれかあぐべき

■そして唐突ですが、吉田拓郎の歌詞との関連

ここで新たな私なりの解釈。ふと思い出したのが、吉田拓郎の「結婚しようよ」の歌詞の冒頭。

僕の髪が肩まで伸びて
君と同じになったら
約束通り 町の教会で
結婚しようよ・・・

このくだりはまさに伊勢物語の「筒井筒」の世界。日本人の心は平安の古から千年以上たっても発想の原点は同じなのだなと、一人得心いたしました。あるいは吉田拓郎さんの心の奥底に伊勢物語のイメージがあったのかも知れません。

■「切り通し」と石川啄木の関連

次に湯島の白梅の歌の中に「切り通し」という言葉があります。「切り通し」とは、山や丘などを掘削し、人馬の交通を行えるようにした道の事。トンネル掘削技術が発達していなかった明治時代以前には、切り立った地形の難所に道路を切り開く手段として広く用いられた工法でそれらの地域を「切り通し」と呼んだとか。

また, かつて本郷三丁目交差点近くの「新井理髪店」の二階に間借りしていた石川啄木が, 朝日新聞社の夜勤の帰り, 毎日通った坂でもあります。
      
二晩おきに 夜の一時頃に 切通の坂を 上りしも 勤めなればかな  石川 啄木

夜勤の晩には、湯島神社の石垣沿いの暗い切通坂を、いろいろな思いを抱いて上っていったことであろう。・・・当時の啄木の生活状況がこの歌をとおして、ひしひしと伝わってくる切ない歌の内容だ。この歌碑は坂の途中に「自筆のノートの筆跡」をもとにひっそりと佇んでいる。

■「鐘は墨絵の上野山」の解釈

「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉」・・・つらい別れのあと、ガス燈のある境内を出て右に曲がると、そこは切り通し坂。不本意にも別れたお蔦の切ない気持ちを思うと足取りも重い。坂道から見える上野の山(今はビルやマンションに隠れて見えない上野山も当時は、坂の途中から十分に見渡せたと推察される。)が、夕闇の中に辛く哀しい墨絵の様に見える。そして寛永寺の鐘が物悲しく響く。こんな情景ではなかっただろうか・・・。

啄木にとってもお蔦・主税にとっても切り通し坂と上野の山は切ない情景・・・身がつまる思いがします。

■もし近松門左衛門がシナリオを書くなら

上野・寛永寺の鐘は、江戸の時代には幕府公認の「時の鐘」。時代が変わった明治でも、主税にとっては、江戸っ子ゆえの「けじめの鐘」に聞こえたのかも知れません。

もしもの仮定ですが、「婦系図」が大阪を舞台にし、しかも作者が泉鏡花ではなく、近松門左衛門だったとしたら・・・恩師の酒井に「俺を棄てるか、婦を棄てるか」と決断を迫られたとしても主税は、当然のごとく心底愛するお蔦とともに自分たちの誠の愛をつらぬき、そして最後は道行きにいたったのかも知れません。

近松門左衛門が書くシナリオは「湯島境内」以降どのように展開していくのか・・・。手に手をとって生まれ故郷に向かいそして両親と再会する・・・その後やいかに・・・。

江戸の「粋な文化」か浪速の「人情の文化」か、地域文化に立脚した文学を比較して考えてみるのも興味深いものですね。

■エピローグ

自分なりの勝手な解釈を加え、ブログの結びどころが分からなくなってしまいました。現地を訪れてはじめて、この名作の奥の深さが分かりました。機会があれば、また湯島とその周辺をじっくりと散策したいと思っています。

拙文を最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

P.S.
ブログの左上の「お気に召すまま・・・」に小畑実さんが歌う「湯島の白梅」のサイトにリンクをはらさせていただいております。よろしかったらクリックしてみてください。

写真は、上から湯島天神にいたる「女坂」と切通坂にある「啄木の歌碑」です。

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2008年10月 2日 (木)

映画「しあわせのかおり」の試写会を見て・・・。

先だって、ある新聞社の方から「今晩いい映画の試写会」が
あるから来ませんか、とお誘いをいただきました。
「その映画の題名は ?」・・・「しあわせのかおり」・・・。
「主演は誰 ?」・・・「中谷美紀と藤竜也」・・・。
「それってどんな映画 ?」・・・「目と心で味あうお料理の映画」・・・。
その一言で、夕方には試写会の会場にかけつけていました。

■ストーリー

〜港町の小さな中華料理店で繰り広げられる、温かい奇跡の物語〜

古都・金沢の片隅、日本海に面した港町にある、1軒の小さな中華料理店「小上海飯店」。店主が丹精込めて作る料理の味が評判を呼び、昼も夜もお客さんで一杯。笑顔があふれ、しあわせな気分で店を後にするお客さんたち・・・・・・。

ところが、年老いた店主を突然の病が襲い、店は閉店の危機に。そこに、夫を亡くし人生に行き詰まっている若い女性が現れる。ドラマと分かっていながら、「これから物語はどう展開していくのだろうか」・・・ぎりぎりの切羽詰まったシチュエーションに気をもまされる。

そして幾多の困難に直面しながら食べる者みんなに「しあわせをもたらす料理人」を目指す2人の姿に心をうたれる。血のつながりもなく、国籍も違うふたりが二人三脚で未来に踏み出していく姿に自然と引き込まれていく・・・。

■テーマとキャスティング

全編にながれるテーマは「料理と人生の生き様」。また映画の中では、日本海の海産物や加賀野菜など地元の食材を存分に生かした日本人にも馴染み深い中華料理の数々を「目で味わう」ことができる。

また、映像を通し、美味しい中華料理の匂いが漂ってくるような錯覚に陥ってしまう。食べている人の顔を見ているだけで、まさにタイトルの「しあわせのかおり」が十分に伝わってくる映画だ。

一方、キャスティングは旬の実力派女優・中谷美紀、ベテランの藤竜也、八千草薫ら日本映画を代表する名優たちの、上質の演技が楽しめる。「しあわせのかおり」は、「小さな奇跡を目と心で味わうことができる作品」と云える。

■映画の見せ場は

藤竜也、中谷美紀の料理シーンは必見。藤が腕をふるう様子は、長い年輪を重ねた料理人の貫禄に満ちている。「この人の料理を食べたい」と思わせる後ろ姿だ。一方、中谷は鍋を振るか細い腕が最初は痛々しく感じる。血が滲んだまめも手のひらに出来てしまう。

が、しかしそこからが、この映画の核心部分だ。料理の修業を通し、人間としての成長の描写に変わっていく。そしてしだいに逞しくなっていく心とともに重い中華鍋も巧みに扱えるようになっていく。貴子の料理人としての成長は、映画を見ている観客をどんどんと心の深淵と料理の世界に引き込んでいく。

■エピローグ

「中谷美紀」さんは不思議な役者だ。細身の体に、もの憂げな横顔が同情を誘うかと思うと、一瞬にして凛とした表情に変わる。まさに状況に応じた「目力(めぢから)」の演技で観客を魅了する近年には数少ない役者さんの一人ではないだろうか。歌舞伎で云う「目千両」。私にとって、今後とも注目していきたいのタレント(本来の意味は才能)の一人となりました。

映画の中で紹介されている「トマト卵炒め」や「山定食」、「海定食」が中華料理のバーミアンで実際に楽しめるとか。近々ぜひ味わってきたいと思っています。

■P.S.

サーバーの影響で画像のポップアップが効かなくなりました。いましばらくお待ちください。

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2008年10月 1日 (水)

中日劇場 九月講演「佐賀のがばいばあちゃん」を観劇して

月もかわり十月となりました。ともあれ、月一作が私のブログ制作の目途。先月は月末ぎりぎりセーフの状態でしたので、今月は気合いをいれ、月初からのスタートダッシュとまいりました。

■テーマは「佐賀のがばいばあちゃん」

先日名古屋・栄の中日劇場の九月公演「がばいばあちゃん」を観劇させていただく機会がありました。中日劇場での観劇というとちょうど3年前、西川流の「名古屋をどり」以来。日頃は100人も入れば満員御礼となる大衆演劇の芝居小屋をもっぱら見慣れているせいか、こういう大舞台は少々、いやかなり勝手が違う・・・。

大衆演劇の楽しみは、観劇中にお寿司やおでんを食べたり、缶ビールはたまたお酒を飲みながら贔屓の役者さんの出番を待つ。待ってました !「座長 !」「お諒さん !」とかけ声をおくるなど、あくまで観客主体で事が運んでいく・・・。大劇場では、そんな訳にはいかない。いただいたパンフレットに目をやりながら開演の時を静かに待ちました。

■定刻通りに緞帳は上がりました

大きな緞帳と広い舞台、そして肘掛け付きの豪華な座席。何よりも違うのが1000名を超えるお客さまの数。袋からあられなどを取り出そうものなら、退場を命じられそうな厳かな雰囲気。定刻を知らせるチャイムの音とともに緞帳がするすると上がりました。そしてスポットライトの中心に島田洋八さんの姿が・・・そこからお芝居が始まりました。(洋八さんは劇中語り部として出演)

■あらすじ

戦後の動乱期、広島に暮らす昭広(島田洋七の本名)少年は母親に女手ひとつで育てられている。夜ごと幼い昭広は、一人淋しさに我慢できず、夜の居酒屋で働く母のもとにやってくるため、母は商売にならない。いろいろ考えたうえ、母は泣く泣く佐賀に住む祖母のおサノばあちゃんの家へ昭広を送ることから物語が始まる。

おサノばあちゃんの家は、佐賀の田舎にあって、超苦労人そして貧乏人だった。だが「貧乏を貧乏と考えず」、明るく逞しく生きる「がばいばあちゃん」であった。そして時として、奇想天外な考え方、破天荒な発言で町育ちの昭広を驚かせる。最初は母がとても恋しく、田舎暮らしに抵抗を感じた昭広だったが、次第に佐賀にも、学校の友達にも、そしてばあちゃんとの「由緒正しい貧乏」暮らしにも馴染んでいった。
そして周囲の優しい人々に見守られ、すくすくと成長する昭広少年の、がばいばあちゃんと過ごした8年間を人情味溢れるストーリーで描いていく。

■がばいばあちゃんの語録

・「拾うものはあっても、捨てるものはなかと」
・「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏」
 「うちは明るい貧乏だからよか。それも最近貧乏になったと違うから、心配せんでもよか。うちは先祖代々貧乏だから」
・「人間全て総合力。通知表も3科目足して5あればそれで十分」などなど・・・。

因みに「がばい」とは佐賀弁で「とっても」の意味。だから「がばいばあちゃん」はとても凄いおばあちゃんという意味です。子供の目から通して見る「おサノばあちゃん」は眩しいくらいの尊敬に値する存在だったとうかがえます。

■がばいばあちゃんが教えてくれた教訓

☆今の世相と教育について

子供をほったらかしにしていながら、勉強しなさいと小言ばかりを云う親。ゲームやモノやお小遣いを与えてそれが愛情と勘違いしている親。何かあれば学校が悪い、世間が悪いと、今時の親は主張する。昔はそんなじゃなかった。躾とか人間の人格を形成するのはやっぱり家庭。それも愛情溢れるスキンシップが大切だよ・・・そうがばいばあちゃんは教えてくれている気がします。

☆貧乏なんて怖くない

実入りに応じた生活をしていれば幸せ、「貧乏なんて怖くない」。日本はいつの日から心の歯車が狂ってしまったのだろうか。昭和30〜40年代までの寒かった冬を思い起こすと、そこには「こたつ」「ねんねこ」「炭火あんか」「湯たんぽ」などがありました。でも、本当の温かさは人の心の温もり。それも一家が身を寄せ合う家庭の温かさが一番ではなかっただろうか。当時の庶民の暮らしは、皆んな貧乏だったが、それでも「いつかは何とかなる」と夢と希望は持っていた。

クルマあり、パソコンあり、携帯電話ありの現代の方が一見幸せそうに思えるが実はそうではない。この世を生きていくのにさして必要不可欠でもないモノを追い求め、そして貧乏を怖れるから様々な犯罪が起き、世の中全体が心の余裕のないぎすぎすした世相を呈している・・・。そんな気がしてなりません。

■エピローグ

「がばいばあちゃん」は今の世の中に再び「貧乏のススメ」をしているのではないだろうか。そして本当の幸せは「モノではなく心の豊かさ」であることをこのお芝居を通して強烈なメッセージを送っている・・・今回の観劇を通し、様々な教訓を教えられました。

がばいばあちゃん・・・大切なことを思い起こしてくれてありがとう。

拙文を最後までごご覧いただき、大変恐縮いたしております。拙文のついてに拙歌を一つ。

貧乏を 怖れぬ我が身は 親譲り 金運無縁の 人生航路

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