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2009年3月

2009年3月13日 (金)

「湯島の白梅」・・・第3章

ついに、とうとうこの目で見ました。念願の「湯島の白梅」を・・・。

3月の初旬こと、都内を移動している30分の間隙をぬって、JR御徒町駅から歩いて約10分にある湯島の天神さまで、あの白梅をこの肉眼で見させて頂きました。

■狂おしいほどに思い続けたあの光景・・・

残念ながら天神さまの境内は、白梅から紅梅が見頃となっていましたが、もうこれだけで十分。「お蔦と主税」、市川雷蔵さんと水谷八重子さんになった気分で至福のひと時を過ごすことができました。

■小説「湯島の白梅」とは・・・

以前ブログの拙文でご紹介いたしましたが、再度ここに記させて頂きます。

原作は明治の文豪、泉鏡花の「婦系図」。新派・映画などでたびたび演じられる「湯島の白梅」は、泉鏡花の原作『婦系図』の一場面・・・「湯島の境内」。あまりにも有名なシーンの為、この場面だけが「婦系図」の原作のようになってしまっています。

『切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ。・・・私にゃ死ねと云って下さい。』・・・あの有名なお蔦の台詞です。原作『婦系図』では、「湯島の境内」の場面のあと、その題名の通り「婦人の系図」を巡り複雑な展開をみせ、悲劇的な結末で話が結ばれるますが、やはり見せ場は。この「湯島の境内」とあの台詞。

実生活では、お蔦のモデルは後の泉鏡花夫人、神楽坂芸者の桃太郎、早瀬主税は自分自身、師である酒井俊蔵は、尾崎紅葉のようです。

■戯曲とともに慕われる「湯島の白梅」の歌

七五調で綴られた詩は二人の切ない心情をよく現し、哀愁を帯びたメロディーにぴったり。この曲が作られたのは、昭和十七年、以降連綿として現在まで、お芝居とともに歌い継がれています。

作詩 佐伯孝夫   作曲  清水保雄
1 湯島通れば 想い出す
  お蔦主税の 心意気
  知るや白梅 玉垣に
  残る二人の 影法師

2 忘れられよか 筒井筒
  岸の柳の 縁結び
  堅い契りを 義理ゆえに
  水に流すも 江戸育ち

3 青い瓦斯燈 境内を
  出れば本郷 切り通し
  あかぬ別れの 中空に
  鐘は墨絵の 上野山

(平成20年7月にアップロードさせて頂いたブログより)

■天神さまと菅原道真公の関係は・・・

さて、湯島の白梅の舞台となった「天神さま」について紐解いて見ますと・・・。

天神信仰(てんじんしんこう)は、天神(雷神)に対する信仰のことであり、特に菅原道真公を「天神さま」として畏怖・祈願の対象とする神道の信仰のことをいう。本来天神とは国津神に対する天津神を指して言う言葉であり特定の神を指していう言葉ではなかったが、道真公が死後火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどを由来とし、道真公の神霊に対する信仰もまた天神信仰と称するようになった・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より。

■天神さまに見る「昨今の絵馬」・・・

テレビや新聞でこの時期の風物詩として報道されるのは、受験生が希望の大学の入学できるようにと祈願した絵馬。

「東大・理科一類に入学できますように・・・」という入学祈願の絵馬が有名ですが、よ〜くみると中には「○○会社の内定通知がきますように・・・」などというものも見受けられました。まさにこのご時世を象徴したものには身につまされる思いがします。

■エピローグ

さぞかし菅原道真公も苦笑していることでしょう。「一体こんな日本に誰がした」・・・そんな気持ちで湯島の天神さまを後にしました。

拙文を最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

ブログの左上の「お気に召すまま・・・」に小畑実さんが歌う「湯島の白梅」のサイトにリンクをはらさせていただきました。

写真は、湯島境内の梅と懐かしい「猿回し」の芸人さんです。

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