友との永久の別れ〜第2章〜「うすむらさきの藤棚」を見て思うこと・・・。
親友との永遠の別れから早くも1週間が経とうとしています。「世の中の不条理」や「もののあわれ」・・・この現実を受けとめるとともに、日頃の喧噪のなかでくすぶっていた自分の心が次第に浄化され、感受性が普段より強くなっていることを自覚させられます。
先だってのことです。ある大学に仕事の打ち合わせで行ったとき、早くも咲いている「うすむらさきの藤棚」を発見し、懐かしい記憶が私の脳裏をよぎりました。
それは約40年前にヒットした「女学生」という流行歌(当時はヒットソングのことをこう呼びました)の歌詞、そしてそのメロディー。
昭和30年代の流行歌のなかに舟木一夫さんの『高校三年生』、三田明さんの『美しい十代』などとならび、学園ソングの人気曲のひとつに挙げられていたのが安達明さんの「女学生」。
薄紫の藤棚を目(ま)のあたりにして、あの甘酸っぱい歌詞を数十年ぶりに味わってみました。
■女学生の歌詞
うすむらさきの 藤棚の
下で歌った アベ・マリア
澄んだひとみが 美しく
なぜか 心に残ってる
君はやさしい 君はやさしい 女学生
セーラー服に 朝霧が
流れていった 丘の道
赤いカバーの ラケットを
そっと小脇に かかえてた
君は明るい 君は明るい 女学生
はるかな夢と あこがれを
友とふたりで 語った日
胸いっぱいの しあわせが
その横顔に 光ってた
君はステキな 君はステキな 女学生
■今の時代と比較して・・・。
残念ながら今の時代では「女学生」という言葉あまり使われない、またセーラー服姿の「女学生」も少なくなっているようです。
この歌詞を今の高校生に一度聞かせてみたいと思いますが・・・。「なに、これ」と、まず理解されないでしょうね・・・。
手紙を書き、そっと校内の下駄箱(靴箱ではない)に入れて、自分の想いを彼女に伝える・・・。あるいは彼女が乗る電車にあわせて、隣の車両に乗る・・・など。かつての少年・少女には「純真なこころ」と「あどけなさ」がありました。ひょっとして今でいうスートーカーまがいも、その当時は許された一つの意志通信手段だったかもしれません。
■「モノ溢れ」から「こころの豊かさ」の時代へ
パソコン、携帯、i-touch(アイタッチ)など通信手段ならなんでも有りの今の世の中。その反面失ってしまったのが、人から人へと自分の胸の内を直に伝える言語能力(ボキャブラリーの豊かさ)。
今こそ求められるのが「心の豊かさ」ではないのでしょうか。お金さえあれば「欲しいもの」がなんでも手に入るこの世の中。しかし一端望みが満たされないと突然キレてしまう・・・のが現代の世相。
「こころの豊かさ」はお金では買えません。目と耳そして心で感じることのできる「一行の美しい文章」、「一枚の美しい絵」、そして「一曲の美しい音楽」や「一輪の美しい花」など、感性を豊かにする「こころの充足」そして「瑞々しい体験」が求められる時代がやってきたと痛切に感じます。
■さあ「こころの旅」へでかけよう・・・。
百年に一度と云われる絶不況の今、これを幸いに転じて、それぞれが「こころの旅」にでかけたらどうでしょうか。遠くなくていい、近くにある図書館、美術館、博物館、植物園、音楽ホールなどなんでもいい・・・そこへ行くのにもクルマではなく地下鉄やバスで・・・或いは歩いて。
その「瑞々しい体験や感動」が「こころの豊かさ」を生みだしてゆくと思います。
■そして旨いお酒・・・。
「うすむらさきの藤棚」から始まって行き着くところは、やはり「旨い酒」。若い頃は、一滴も飲めなかったお酒が、今では明日への活力源。
数十年前の青春時代の思ひ出を肴に、一人で亡き友と語りながら、今宵もまず一献。
ブログの左上の「お気に召すまま・・・」に安達明さんが歌う「女学生」のサイトにリンクをはらさせていただきました。よろしかったらご視聴ください。
拙文を最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。
■拙文の更なる蛇足
因みに「セーラー服」がNAVY(海軍)に採用された理由は、諸説ありますが、強風下の甲板上での作業において水兵間の伝達を「耳の後ろに襟を立て聞き取りやすくする」集音効果のためであるという説が有力のようです。
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