海洋葬 〜 友との永遠の別れ 〜 最終章
とうとうその日がやってきました。彼が望んだ海、多感な少年そして青春時代を過ごした「鳥羽の海」の沖合で海洋葬を体験しました。
陸の上にある「鳥羽商船学校の校舎の見える海で俺の骨を散骨してくれ・・・」、それが彼の遺言。
まるで全力疾走で駆け抜けたのような彼の人生・・・出会いは中学2年生の時、たまたま1年間同級だったこと。それがきっかけとなり生涯の友として、互いに切磋琢磨できたことは、私にとって最大の喜びです。
私にとって彼は「誇れる友」、彼にとって私はと思うと・・・とても気恥ずかしい思いが致します。
■海の青、そして白い遺骨・・・
梅雨時でしたが、今日の空は曇りながら時おり陽がさすまずまずの天気。チャーターした船は静かに鳥羽の港を出港し、商船学校と練習船が見える池の浦の沖合で停泊。
「お〜い、とうとう来たぞ」「お前の望んだ鳥羽の海だ」「学校の校舎が見えるだろ〜」。白い遺骨が、静かに青い海の中にとけ込んでゆく。
大好きだった「お酒」とともに花束を海面にそっと手向けると「ありがとな〜」という声が空から木魂のように聞こえてきました。
海面におこるさざ波も「彼の嬉しい表情」に映り、思わず胸の中から熱いものがこみあげてきて「こちらこそ、ありがとな〜」と言葉を返しました。
■至誠一貫・質実剛健・知行合一
彼から学んだものはこの言葉。強いもの(体制の枠組み)に敢然と立ち向かう姿は中学生時代から一貫しており、商船学校、社会人になってもそれはそれは全くぶれることはありませんでした。かっての三船敏朗さんではありませんが「男はだまって」・・・そんな言葉がとても似合う男の中の男でした。
野球はもちろん中日ドラゴンズの熱狂的なファン。その応援ぶりは凄まじく対戦相手の応援団の中でも臆することなく熱烈な声援をおくっていました。
■エピローグ・・・「瞼の母」、いや「瞼の友」
その彼も今は天国できっと私たちを見守ってくれていることでしょう。「しっかりやれよ」と。
ここで、いつものごとく「瞼の母」の銘セリフを思いだしました。「会いたくなったら、じ〜と両の瞼をつむるんだ」「そうすると、いつでも元気な彼の姿が目に浮かんでくる」と。
I have a best friend forever in my heart .
両の掌を合わせ、合掌。
写真は商船学校が見える鳥羽の海と3代目の練習船・鳥羽丸です。







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