スポーツ

2007年8月 5日 (日)

「横綱・朝青龍」と国技についての一考察

大相撲夏場所(名古屋場所)を逆転優勝で飾った直後「疲労骨折」とかの診断書を添えて協会に「有給届け」を提出。本来であるならば、次の秋場所に備え、じっくりと体を癒す自宅静養であるべきところ、その足でモンゴルへ。そこで件の「サッカー事件」。テレビ放映を見る限り、元気溌剌、サッカー場をかけまわり、軽やかなフットワークで、ヘッディングシュートをするなど「疲労骨折」はどこにいったの?と云いたくなるほどの、活躍ぶり・・・。

事件が発覚すると、協会から、年内の本場所への出場停止と自宅謹慎処分。その瞬間から、土俵上で、対戦相手を睨み付ける、あの不貞不貞しい闘争心は、どこへやら、最近の新聞報道によると、情緒不安定の「ノイローゼ」になり、食事も満足にとれず、生まれ故郷のモンゴルに早く帰って、「心と体」のケアをしたいとか・・・

朝青龍については、以前から「バックミラー損壊事件」「まげ掴み反則事件」など、いろいろと、「横綱の品格」を問われる報道がされてきました。こういう問題(ゴタゴタ)が起きるたびにわき起こってくるのが、「国技」についての様々な議論・・・。一体国技とは、何だろうか、改めて考えてみたいと、思いました。

■ 国技を紐解く

百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、国技(こくぎ)とは、各国固有の武術・スポーツ競技を指す。また、各国で競技人口の多いスポーツ競技も国技と呼ばれることが多いと示されている。本来国技とはその国で生まれた武術やスポーツ競技を指す言葉であり、例えばアメリカ合衆国で国技とされている野球はアメリカが、発祥の競技であるとか。(ただし野球の起源には諸説あり、詳しいことは判明していない)

しかし、スポーツ競技が世界中で実施されるようになると発祥国以外の国がそのスポーツ競技を「国技」と呼ぶこともあり、さらに国家としてスポーツ競技の普及強化に努めている場合にも、国技となる。・・・とあります。

■ では、日本の国技とは・・・

言葉として国技の定義については、遡ると、1909年(明治42年)6月2日に作家の江見水蔭が執筆した開館式の披露文(相撲節は国技であるという内容)にヒントを得て、3代尾車親方(大関:大戸平廣吉)が命名委員会(会長:板垣退助)に提案し、了承された名称両国国技館により相撲は国技となった。・・・とされています。

一方、もう一つの人気スポーツである野球に目を向けてみますと、明治時代にアメリカから伝わり、正岡子規がベースボールを日本語で「野球」と名づけたのが、日本の野球の歴史の始まりだとされています。が、しかし、しばらくの間、野球は勝ち負けをはっきりつけるスポーツである為、日本人のメンタリティにはあわない、青少年の精神を不健全なものにする、とされていたようです。昭和初期になって職業野球つまりプロ野球が始まりますが、ある種の見世物であり、当初はこの職業野球の選手というのは、かなり低い目で見られていたようです。

時は変わり、昨年のワールド・ベースボール・クラシックでの優勝や、現在のプロ野球の隆盛ぶりをみると隔世の感があります。「相撲は国技であって」、「野球は国技ではない」のか? 世紀の名勝負、あのキューバ戦の日本国内をあげての熱狂ぶりをみていると、そんな議論や定義は不要という気がいたします。

■「横綱・朝青龍 事件」と国技「相撲」との関連

敢えて今回は「朝青龍 事件」とさせていただきます。相撲協会のご都合のため、生活・文化の違う外国人=有望な若者を、はるばる遊牧民の地モンゴルから連れてきて、力士にし、更に強いという理由だけで、彼を「横綱」に使命したのだから、協会(日本)にも、云うならば「任命責任」があるのではないか。(もっとも、彼の場合は、早くからその能力を見いだされ、高校時代から、高知県の明徳義塾に相撲留学をしていた)。

本来相撲道とは、「心・技・体」を精進させる道、つまりこの三つの中では、「心」を最も重んじる宗教行事の一つ儀式(スポーツ)ではなかったか。協会は、単なる興業収益を上げるためだけで、彼らを「見世物」としてスカウトしたのでは、なかったか・・・
だとしたら、彼らに、役付き力士になったからといって、日本古来の相撲道なるものを、説くのは、理不尽な要求かも知れません。彼らは、単に日本に行って、努力と我慢そして文化の壁を乗り越え、今の地位を築いたのだから。

この数年の間、朝青龍が一人横綱として、相撲興業を支えてきたのは、紛れもない事実。「二十代前半の若者」にとって、その精神的なプレッシャーと、異文化との戦いは、相当なものであったと推察され、当然予測される事態として来るべきものが来た、というのが実感です。

■ エピローグ 「曖昧な日本人(文化)」が引き起こす諸問題

大江健三郎さんのノーベル賞受賞の基調演説で「曖昧な日本人(文化)」という表現があります。近年の周辺諸国との関わり合いをみていると、中国や韓国とは「靖国神社」や、「竹島問題」、そして「従軍慰安婦」や「教科書問題」、北朝鮮とは「拉致問題」、ロシアとは「北方領土」など、枚挙に暇がない。国内の日本人同士のコミュニケはともかく、国際間では、その曖昧な態度が様々な外交問題を引き起こしている。私の政治信条は、左でも右でもなく、どちらかというとリベラルな「穏健派」を自認している。

今回の「朝青龍 問題」も、彼に味方をするつもりは、毛頭ありません。がしかし、事をワールドワイドに考えてみると、大江さんが指摘した「曖昧な日本人(文化)」が引き起こした「日本」と「モンゴル」との国際的な文化問題ではないかと、私は考えます。
相撲協会さんには、短絡的な視野ではなく、長期的な観点に立ち、今回の問題に対し、賢明な対処をお願いする次第であります。

■ P.S.

お題を大上段に構えたのは、いいのですが、着地点をどこへもっていったらいいか、途中で文脈が、かなり怪しくなり、大変恐縮しております。拙文を最後までご覧頂き、誠に有り難うございました。

因みに、先月の名古屋場所は、ご当地ゆえ、琴光喜の応援に出かけてまいりました。
その時の写真をアップロードさせていただきました。

Nagoya3

Nagoya4

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2007年3月13日 (火)

すごいぜ  浅尾拓也!

今日の夕方のラジオニュースで、君の対巨人戦、一軍初登板を知りました。これだけでもビッグニュース。並みいるドラゴンズの最強投手陣のなかから、オープン戦とはいえ、出場機会を与えられるなんて信じられません。しかも、いきなり絶体絶命のピンチで。多分心臓はドキドキ、張り裂けんばかりの気持ちでの登板だったと思う。でも君は、なんなくピンチの芽を摘み取った。なにか運命的なものを感じさせられますね。実は、浅尾くんのことが気になって、10日の土曜日にナゴヤ球場(ドームではありません)に、教育リーグの観戦でかけました。運良く浅尾くんの登板があり、いきなりスピードガンで151キロ、152キロの連発をこの目で見ることができました。ファームの他の選手とは、ひと味も、ふた味も違う雰囲気を実感しました。華奢な体つきからくりだす、あのスピード。プロ野球ファンを魅了するオーラすら感じさせる内容でした。そこで知った今日のニュース。早くも君が、阪神の藤川のようにセットアッパーとして、バッタバッタと強打者を相手に三振の山を築く、そんな夢を見てしまいます。めざせドラゴンズの星、そして日本のプロ野球初夢の160キロ。  ドラファンとしては、また嬉しい楽しみが増えました。  兼好法師。

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2007年2月25日 (日)

中村紀洋さんよかったね!

紆余曲折、いろいろあったけど。とにかくよかった。このままの経歴の選手が、日本のプロ野球界からいなくなるのではと、とても心配していました。昨年末からの約3ケ月、とても苦しかったと思うけど、自分の意志とは違う世の中の矛盾や、その間の励ましの友情やら、貴重な経験をされたことと思います。本人の努力もさることながら、周りの人の力添え、採用してくれた中日球団への感謝の気持ちなど、初心忘れるべからず、いまの気持ちを大切にして、これからの活躍を祈っています。彼の実力からして、その日が来るのは、近いと思います。

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