「月に1回のブログ更新」をと心に誓ったもののその期限があと3日と迫って参りました。子供の頃の夏休みの宿題を思い出します。切羽詰まらないと行動を起こさないのは、あの頃からの習性なのでしょうか・・・。やっとの思いでブログをしたためました。
■はるばる来たぜ大阪へ
九月の半ば大のご贔屓「三河家劇団」さんの大阪公演に所謂「追っかけ」で浪花の地へ行って参りました。場所は城東区・深江橋の「満座劇場」。三河家劇団さんとは約5ヶ月ぶりのご対面です。待ちに待った劇場公演。「どきどき、わくわく」この二日間どんなお芝居と踊りを楽しまさせていただけるのか、・・・。期待と興奮に胸が高まるばかり・・・。
「開演です!」の場内案内で「三河家夢の舞台」の幕はきって落とされました。
■大阪といえば道頓堀と新世界
好きなお芝居の観劇の他、大阪への旅のもう一つの魅力は、何といってもミナミの街の散策。中でも道頓堀と新世界の界隈がお気に入りのスポット。いずれもレトロ感覚と人間味が交錯し、それぞれ特徴のある不思議な調和を街全体が醸し出しているから。
☆その壱の1・・・「道頓堀」界隈→ミニ歴史とサインボード編
道頓堀(どうとんぼり)とは、大阪府大阪市を流れる木津川と、東横堀川を結ぶ全長約2.5kmの運河を示します。1612年、安井道頓らが私財を投じて運河開削に着工、1615年に完成し、新堀・南堀川・新川などと呼ばれていたが、松平忠明が道頓の功績を評価し、道頓堀と名づけられたという。
一方、大阪=派手というイメージを全国の人々に植え付けている要因の一つにここ道頓堀界隈のど派手な看板・広告塔合戦。かの有名な「グリコ」の巨大電飾看板、動く「かに道楽」なんかがその両横綱か・・・。その看板が集中するのが戎橋界隈、テレビや映画のロケで使われることも多く、そんな電飾看板をバックにして佇んでいると、まるで自分がドラマの主人公になったような錯覚に陥ります。昨今その仲間に加わったのが、ドン・キホーテの観覧車「えびすタワー」。いやはや何と表現したらいいのか・・・その説明には言葉を失います。
もちろん食に関しても「くいだおれ」てしまうほど沢山のお店がある。大阪名物のたこやき、お好み焼き、ふぐ料理、お寿司、うどん、蕎麦など・・・まさに「あれも食べたい、これも食べたい、ぜ〜んぶ食べたい」・・・大阪一のグルメタウンだ。
☆その壱の2・・・「道頓堀」界隈→法善寺横町と宗右衛門町編
道頓堀の南側の狭い路地を入っていくと織田作之助の小説「夫婦善哉」で知られる法善寺横町があり、昔ながらの石畳の奥に「水掛け不動尊」がある。お不動さんに水をかけ願い事の願をかけるため不動尊は全身を緑の苔の衣をまとっている。また、その名のとおりの「夫婦ぜんざい」もある。丹波産の黒豆使った上品な甘さで何杯でもお代わりできそう・・・。
川を挟んで道頓堀の北側は、クラブやスナックが建ち並ぶ、かの有名な「宗右衛門町」。昼間からでも一種独特な雰囲気。夜の帳がおりるとミナミ一番の歓楽街となる。昭和47年(1972年)、この街の名を取り入れた歌謡曲「宗右衛門町ブルース」(平和勝次とダークホース)が200万枚の大ヒットを記録した。
きっと来てねと 泣いていた
かわいあの娘は うぶなのか
なぜに泣かすか 宗右衛門町よ
さよならさよなら 又来る日まで
涙をふいて さようなら
街のネオンも 消えてゆく
うぶなあの娘も 消えてゆく
なぜかさびしい 宗右衛門町よ
さよならさよなら うしろ姿も
夜霧にぬれて さみしそう
いちょう並木に 春が来る
君にも来るよ 幸せが
なぜかかなしい 宗右衛門町よ
さよならさよなら もう一度だけ
明るい笑顔を みせとくれ
☆その壱の3 ・・・「道頓堀」界隈→上方芸能の本拠地編
話は元に戻りますが、道頓堀の発展とともに、1660年代頃から多くの劇場ができはじめ、中座、角座、竹本座、浪花座、弁天座、朝日座などの劇場で、戎橋から東に存在したこれらの劇場を「五つ櫓」とも云われ、歌舞伎や人形浄瑠璃が演じられたという。近松門左衛門もこの地があったからこそ後生に残る名作の数々を生み出した・・・これは私自身の勝手な推測ですが・・・。
以後、時の流れとともに、演芸の世界も盛衰を辿りましたが、芸人を育て、そして連綿と現在までその精神を受け継いでいる街と云えます。現存するのは大阪松竹座、新歌舞伎座、そしてお笑いの吉本の「なんばグランド花月」、はたまた大阪府立上方演芸資料館など、今でも各種演芸場が建ち並ぶエリアとしても道頓堀は有名です。
☆その弐・・・「新世界」界隈編
NHKドラマ「ふたりっ子」で一躍脚光を浴びた、大阪一の下町の新世界。このドラマの大ヒットで週末は、観光客で大賑わいの一大観光スポットとなりましたが、実際は、庶民の生活感と「下町スピリッツ」が生きる街。「うまい、安い、温かい」の三拍子揃った老舗グルメスポットが狭いエリアに集中的に軒先を並べている。串カツ・寿司・フグ・そばなど何でもあり、昼間から串カツを肴に気軽に立ち飲みできるお店もたくさんある。
他に目立つのは「囲碁・将棋センター」「歌謡劇場」「大衆演劇場」「パチンコ」など食と娯楽のことならすべてそろっているのが、このエリアの特徴。ではこの渾然とした街が何故「新世界」なのか・・・その謎に迫ってみることにしました。
そもそもこのあたりの開発が始まったのは明治36年(1903)に開かれた内国勧業博覧会がきっかけ。これを機に市電も開通し近くの天王寺公園の完成も相まって街は急速に発展していくことになる。また、当時大阪一の歓楽街であった千日前が大火災で全滅。その復興よりも一足早く立ち上がったのがこの街。当時で云うと東洋一の歓楽街=「新世界」・・・ということで自然と名付けられたようです。そのど真ん中に位置するのが「通天閣」。「新世界にある天に通じる楼閣」・・・大言壮語というか・・・これ以上の説明は何もいりません。
■エピローグ
こよなく愛する大阪・ミナミの街に話題の多くをさいてしまいましたが、もちろん旅のメインテーマ「大衆演劇の鑑賞」もバッチリ。人情演劇に涙したり、お気に入りの三河家劇団さんのお芝居と踊りを満喫させていただきました。座長、お諒さん二日間本当にありがとうございました。
拙文を最後までご覧いただき誠にありがとうございました。ブログの左上「お気に召すまま・・・」で平和勝次さんが歌う「宗右衛門町ブルース」のサイトにリンクを張らさせていただきました。よろしかったらカラオケでどうぞ・・・。
写真は上から道頓堀、通天閣、新世界の順です。



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