今年の1月2日、たまたまBSの番組表を見ていたところ、「懐かしのフォーク大全集」というタイトルが目に止まりました。
目玉は、かのフォークの神様「岡林信康さん」の出演。懐かしさがこみ上げるとともに、あの70年代安保闘争、そして約40年ほど前の熱気に満ち溢れた青春時代の想い出。約2時間弱の時間、久々にあの時代にタイムスリップしました・・・。
あの歌、この歌、それぞれの歌詞の一言一言に当時とは違う何かを感じ、懐かしいメロディーとともにじっくりと自分の人生も考えてみました・・・「今日まで、そして明日から」。
■涙が出るほど嬉しいメンバー・・・。
世代を超え愛されている名曲の数々をテーマに、あのフォークソングシンガーがNHKホールに大集合。40年前、ギター1本で日本中が歌い出したフォークブームが起こり、自らの想いを歌う和製フォークソングが生まれ、やがて、そのムーブメントから派生するように、オリジナル曲をバンドスタイルで演奏する「和製ロック」ミュージシャンが続々と登場。
「和製フォーク」は日本のポップカルチャーとなって、その後の現代音楽シーンへと続く礎を築くことになった。そのオリジナルシンガーの歌声、そしてフォークの名曲たちは今なお我々を魅了してやまない。
今回の番組の目玉は何と言っても、出演者の豪華さ。その中でも特にNHKの歌番組は15年振りの出演となり、集合もののテレビ音楽イベントには初出演の「フォークの神様」岡林信康。彼の、あの名曲・あのヒット曲の数々。
番組では、フォーク黎明期から全盛期、そしてこれからも歌い継がれて行く名曲をステージに当時のライブハウスを再現するなど、数々のユニークな演出によってNHKホールからライブ感いっぱいに紹介する。
(番組紹介より)
[出演]
石川セリ、五つの赤い風船、因幡晃、上田正樹、大野真澄、
岡林信康、尾崎亜美、海援隊、加川良、小室等、杉田二郎、
ダ・カーポ、谷村新司、BORO、ムッシュかまやつ ほか
■岡林信康さんは同窓生・・・。
フォークの神様ともてはやされた「岡林信康」さんは、たまたま私の大学の同窓生。彼は敬虔なクリスチャンの牧師の家に生まれ、大学進学とともに当然のごとく神学部に進む。ここまでは順当な人生。その彼をして目覚めさせてしまったのがあの学生運動のうねり・・・。
人の一生は得てして、自分の思い通りにいかないのが常なのか・・・。まさに「諸行無常の響きあり」。一般的な古文の解釈で云うと「無常」は、「儚い」あるいは「虚しい」が正解かも知れません。
が、しかしじっくりとこの漢字を見ると「常ではない」、つまり世の中の「諸行無常」は「常ではない」という解釈にいたります。
彼はその才能故に時代の寵児として祭り上げられ、そして時代に翻弄された。時代が時代であれば、ひょっとして今頃、田舎の牧師さんとして賛美歌を歌っていたかも知れない・・・。それを許さなかったのが、あの時代。まさに「諸行無常」を感じます。
■「岡林信康」さんとは・・・。
え!、「岡林信康」て誰なの・・・という若い世代の方に、ちょっとだけ彼のさわりについてご紹介させていただきます。
岡林 信康(おかばやし のぶやす、1946年7月22日 生まれ )は、滋賀県近江八幡市生まれのフォーク歌手。フォークの神様の愛称で知られる。実家は教会(メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。 現在は京都府亀岡市に住んでいる。
近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。高石ともやの影響でギターを始める。 自らのキリスト教への信仰に疑問を感じた事が、フォークに目覚めたきっかけだったとも言われている。
1968年、山谷に住む日雇い労働者を題材とした『山谷ブルース』でビクターよりレコードデビュー。 翌年までに、『友よ』『手紙』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』など、名作・問題作を発表。 その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより、翌年五月に一時蒸発。
1970年になると、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。 『それで自由になったのかい』『私たちの望むものは』『自由への長い旅』などの作品を発表するが、1971年の「自作自演コンサート 狂い咲き」及び、「第三回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。
1973年にソニーへ移籍し、活動を再開。 ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。一部で高い評価を得るものの、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンが多く、結局、その意識は京都府丹波地方の農村生活の中で沈黙することへ向かった。
また、この頃より、弾き語りスタイルで演奏することは少なくなり、初期の曲も封印するようになる。
二年間の農村生活の中で演歌に開眼。 美空ひばりらとの交流を通し、美空ひばりに『月の夜汽車』などの作品を提供。
以後紆余曲折を経て、独自のロック『エンヤトット』を思案。 そのなかで韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing』を発表。
「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る『エンヤトット路線』ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野音ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。現在は「エンヤトット」を、自らの苗字とかけた「御歌囃子(おかばやし)」と新たに名づけ、全国でライブ活動を展開中。
以上が岡林信康の半生とディスコグラフィーです。『出典:ウィキペディア(Wikipedia)』より。
■エピローグ・・・番組を見終わって。
仕事に追われた数十年の実生活のなかで心のなかに眠っていた「あの熱気と興奮」をこの番組で思い出しました。「たかが人生、されど人生」、新年の始まりから稲妻のようなショックを受けました。
岡林信康さんは、今や「フォークの神様」ではなく、我らと同じ「世の酸いも甘いもかぎ分けた」熟年世代のおじさん。
イントロが始まり、歌い始めたとおもうと、突然の演奏中止。何事があったのかと思ったら「いまのじゃ、ノリが足りない」、「普通ぼくがステージ立つだけで、押し寄せる何かがある・・・」「もう一度イントロからやり直し」「NHKホールなんてめったにでないのだから・・・」など、思いっきり観衆を自分の世界に引きずり込んでいく。
いやはやこの感動。そうだあの時代こう生きた・・・そして今の自分がある。ところが我が身の表現力の乏しさ、言葉の拙さが歯がゆくてなりません。これからの生き様において、この番組は私にとって力強いエールとなりました。
P.S
ブログ左上の「お気に召すまま」岡林信康さんの「山野ブルース」「チューリップのアップリケ」「自由への長い旅」にリンクをはらさせていただきました。よろしかったらクリックして、ご覧になってください。


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