芸能・アイドル

2008年6月 1日 (日)

吾がルーツを辿ると・・・「あの浪曲師」に 〜そして村田英雄さん

先だってのBS放送「昭和歌謡黄金全集」で「三波春夫」さんと「村田英雄」さんの特集が放映されました。残念ながらお二人とも既に鬼籍に入っておられますが、その功績は大きく現在でも多くの歌が唄い継がれています。

お二人とも現役中は「浪曲界からの出身」ということで、廻りからも何かとライバル視されておりました。当日の番組でも、好対照のお二人を生い立ちから芸風、生き様、そしてそれぞれのヒット曲が生まれたエピソードなどが紹介され、なかなか見応えのある番組でした。

■「三波春夫」さんと「村田英雄」さん・・・生涯の良きライバル

☆その壱・・・三波春夫 編

「お客様は神様です」の言葉に代表されるように、三波春夫さんのステージは、いつも華やかさが溢れ、日本万国博覧会のテーマ曲「世界の国からこんにちは」も数ある代表曲のひとつ。また浪曲の語りが入った長編ものの「歌謡浪曲」シリーズは圧巻。迫真にせまる語りと朗々とした歌芸は、多くのファンを魅了しました。「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は60年に及ぶ三波春夫さんの芸の集大成とも云われています。

☆その弐・・・村田英雄 編

一方の「村田英雄」さんは、代表曲「王将」、「人生劇場」、「無法松の一生」などに象徴されるように、男っぽさがいっぱいに漂う芸風。その人生は、次の章で詳しくお伝えさせて頂きますが、いかにも九州人らしい豪放磊落な性格そのものの生き様。まさに「村田英雄の一生」ではなかったかと・・・。

お二人とも浪曲で培った実力を、それぞれ自分の個性を通し、切磋琢磨し、表現していった・・・それが芸の結晶として昇華されていったといっても過言ではありません。

■私が注目したのは「村田英雄」さん・・・その理由は・・・

今回のBS放送を機に改めて、彼の人生について紐解いてみることとしました。

「村田英雄」さんの生まれは、昭和4(1929)年1月17日、佐賀県東松浦郡相知町。幼い頃、訳あって実の両親と生き別れ、実母の友人だった曲師である義母スミ子に引き取られる。

その夫、すなわち、義父の春雄は浪花綱若を名乗る浪曲師、スミ子はその相方の三味線(伴奏)を勉める曲師だった。それをきっかけとして、巡業暮らしの両親に付いて、日本国内はもとより、満州、樺太、台湾など旅から旅への生活が始まる。その様な環境から、子供の時から義父について浪花節の修行を始める。4歳の時、宮崎県のとある劇場で「京山茶目丸」として初舞台を踏む、その後は九州を中心に活躍をし、子供浪曲師として、次第にその名を知られるようになる。

昭和10(1935)年、その人気を聞き及んで、大阪千日前の愛進館から出演依頼を受け上阪する。
その時、義父の春雄が思い切って「茶目丸」の芸名を強引に「少年・酒井雲」に改めさせた。このことをして、後の彼の人生を運命づけることとなる・・・。

■「村田英雄」さんと浪曲師の「酒井雲」さんとの接点は・・・

ここで今回のブログのテーマにある 『吾がルーツを辿ると・・・「あの浪曲師に」』のストーリーの始まりです。あの浪曲師とは、当時の芸能界のビッグネーム「酒井雲」さん。

酒井雲さん(1898〜1973)とは、浪花節の大スター「桃中軒雲右衛門」(1873〜1916)の最後の弟子で、当時は人気小説を浪曲化して語る『文芸浪曲』を新たなジャンルとして確立したニューリーダー。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの浪曲界の大スターでした。

そんな中にあって、「少年・酒井雲」と名乗る少年は目と鼻の先である浪花座に出演。当然のことながら、浪曲界の大スターである酒井雲さん本人がクレームを付け、結局、名前は元の「京山茶目丸」で出演する羽目になる。
この事が縁となり、しばらくして、酒井雲さん本人から”声調べ(弟子入りするための試験)”をして入門の機会を得ることとなる。

当時の茶目丸は7歳。その後、内弟子となり、師匠の酒井雲さんの地元である岐阜市に移り住み、師匠についての巡業と修行に明け暮れる。その後、師匠の雲さんから「酒井雲坊」という芸名与えられ更なる浪曲修行をすることとなる。

■「雲坊」がついに浪曲コンクールで優勝 〜 その影で「南條文若」は・・・

13歳で真打昇進、14歳で「酒井雲坊一座」の座長となり、その後も九州にて地方公演を続けるが、再び師匠「酒井雲」の元で芸道に励むことになる。そして1947年に少女浪曲師の野口ユイ子氏と結婚。更に1949年日本一の浪曲師を夢見て今度は上京。見事浪曲コンクールで圧倒的な支持をえて優勝となる。

この時悔し涙をのんだのが当時の「南條文若」後の「三波春夫」さんだった。このことが彼をして歌謡曲界へ転身する決心したという・・・。

『人間万事塞翁が馬』という諺がありますが、まさにこのことを云うのこも知れませんね。

■名を「村田英雄」へ 〜 そしてその後の活躍は・・・

一方、「酒井雲坊」さんはというと、25歳で「村田英雄」に改名。縁あって「古賀政男」さんに見出され「無法松の一生」で歌手デビューした。
ひょっとしたら、先に歌謡界に転身した「三波春夫」の大ヒットに触発されたのかも知れませんが・・・事の真偽は、今となっては定かではありません。

その後の活躍はご存じの通り、歌謡曲界だけにとどまらず「任侠映画」そしてテレビなどその活躍には枚挙に暇がありません。毎年暮れの国民的な行事だった「紅白歌合戦」の大トリで唄う勇姿が今でも目に焼き付いています。

■エピローグ

吾がルーツを辿ると・・・「浪曲師・酒井雲」さんに行きあたる。というのは父方の祖父が雲さんの兄弟という関係。若いときに親父から雲さんについて色々と話を聞かされていたのですが、20〜30代の時代には「浪曲」といってもあまりにかけ離れた存在で、特にこれといった感慨も何もありませんでした。

近年この歳になって「芝居」「演劇」「日本舞踊」などが好きになっていったのもひょっとして私の体内に生まれつき宿していたDNAが働きだしたのかも知れません・・・。「酒井雲」さんについて調べていくうちに、文芸浪曲の新分野を切り開き、後に「NHK放送文化賞」をも受賞されたという事実を発見しました。また、自身の体に脈々と流れる血液の何十分の一かのDNAを受け継いだ末裔のひとりとして「酒井雲」さんの存在が、とても誇らしく思えてまいりました。

今回のBS放送を通し、改めて「父」にとっても「村田英雄」さんにとっても生涯特別な存在であった「酒井雲」さんを自分の頭と体の中で強く認識することができました。

拙文を最後までご覧頂き、誠に有り難うございました。

■P.S
ブログのトップ左上(お気に召すまま・・・)に、『三波春夫・村田英雄共演 浪曲忠臣蔵「義士の本懐」』にリンクをはらさせていただきました。よろしかったらクリックしてみて下さい。

写真は「酒井雲」さんと「雲坊・村田英雄」さん。そして雲さんが昭和45年に「NHK放送文化賞」を受賞された時の資料です。

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2008年2月15日 (金)

初めてのミュージカル 「天草四郎」

■イントロダクション

つい先日、さる縁があって生まれて初めて「ミュージカル」なるものを観賞させていただきました。お芝居や邦楽、そしてクラシックやロック・ブルース・カントリーなどの洋楽、はたまた浪曲・落語・漫才など演芸、つまり芸事なら何でも好きな私にとって、ミュージカルは、未体験なゾーン。開演までの心境はワクワク、ドキドキ。一体どんなオープニングでスタートするのか、客席でその期待は高まりました。

■オープニング

あれ!舞台の上に人が誰か立ってるぞ・・・ミュージカル「天草四郎」の静かな始まりでした。思い出したのは、一昨年に中日劇場で観た「風の人・種田山頭火」の舞台。あの時もこんな静かなオープニング、そしてストリーは始まりました。

この後は、私の拙いレポートよりも作者と演出家の思いをダイレクトにお伝えした方がベターと思い、当日のパンフレットからその言葉を引用させていただきました。

■四つの夢の物語・・・作者からのメッセージ

「天草四郎」・・・その名に、なぜ私たちは言いしれぬロマンを感じてしまうのでしょうか。愛、信仰、迫害、蜂起、殉教。そんな言葉が並ぶだけで胸は高ぶり、悲劇を背負う主人公が若干十六歳の少年であることに、いっそう心は揺さぶられてしまうのです。

もしその「神の子」である「少年」が、四郎の偽りの姿であるとしたら・・・。そんな作者の状況設定から物語は始まります。なぜ彼(彼女)は「四郎」として生きねばならなかったのか?人々は彼にどんな夢を託したのか、四郎自身はその未来に何を見たのか?切なくも哀しい結末を待つこの物語を、島原の澄みきった海と空を背景に、四郎をめぐる人々の明るく壮大な純愛絵巻として、この物語は描かれています。
(作家:長谷川康夫さんの言葉より)

■戦うしか生きる道はない、その時、人間は何を思うのか。
・・演出家からのメッセージ

島原の乱は、民衆が権力に弾圧され追い詰められ、戦うしか道はなく、死に向かって突き進んでいった痛ましさと壮絶さがある。そんあ極限の中にあって人間は激しい心の高まりの奥に何を思うのだろうか。怒り、生への執着、絶望、虚無・・・僕らにとって想像を絶する世界であったろう。だが数百年以上を経た今でさえ、世界の各地で同じように追い詰められている人々が大勢いる。

今回の舞台は「天草四郎は実は女だった」と空想し、乱で唯一生き残った山田右衛門作と、時の権力の頂点・将軍家光の命を受けた忍びの者とのトライアングルな関係を通し「精一杯息抜く尊さ、清々しさ」をお届けしたい・・・(演出:井上思さんの言葉より)

■観劇を終わって・・・

まず感動したのは、主役「天草四郎」を演じた碓井涼子さんの歌う音程の素晴らしさ。よくあんなアップダウンの難しい曲を歌いこなせるものだ・・・と感心させられました。それが「ミュージカル」たる所以なのかも知れません。

日頃良くお芝居の観劇にでかけ「役者さんの台詞」がストリーを作り上げていくと信じていた私には、とっても新鮮なものに映りました。また、お芝居(ミュージカル)そのものもかなり上質な作品であると云えます。

■エピローグ

舞台がはねて、不思議な光景に出会いました。大衆演劇によく見られる「送り出し」があったからです。さっきまで舞台の壇上にあった役者さん達が今度は一転してギャラリーで花道をつくり、握手してお客様をお見送り。「良かったよ」「こんど必ず来るからね」「有り難うございます」。
まさかミュージカルの公演で役者さん達とこんな身近な体験をさせていただけるとは思ってもみませんでした・・・またまた感激。大満足なひとときを過ごすことができました。

写真は公演案内パンフレットと主演の碓井涼子さんです。

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